文芸思潮新人賞最終候補/三田文学新人賞応募完了
・繁忙期終わった
・今年本命、三田文学新人賞応募完了(10月31日締め切り)
・子母澤寛文学賞の結果まち(発表予定10月)
・文芸思潮新人賞結果まち(最終選考結果11月上旬)
・長塚節文学賞結果まち(発表12月?)
・種苗交換会で再認識した自分の性質
・繁忙期終わった
今年も繁忙期が終わりました。
全体的に楽しく過ごせた。
一緒に仕事する人々も自立的なタイプで苦労することもなかった。
残業時間の五分の二ぐらいが、青年部の活動発表の原稿・スライド作成。作業自体は楽しかったから苦ではなかった。
原稿づくりは、なんていうか、あらゆるポジティブ表現を駆使して1しかないところを10ぐらいあるみたいな文章を書き、詐欺師のような気持ちになった。
平日は1~2時間残業、活動発表の準備で集まる日は夜21時まで、土曜日出勤(朝はちょい遅い)っていう、“忙しい”とされる多くのサラリーマンよりはマシな繁忙期。
しかし、僕はこれでもしんどい。平日19時まで仕事して、帰って飯食って、家事やって、風呂入ったら、もう寝る時間。
平日執筆なんてできるわけがなく、ボルダリング遠征の誘いを断って日曜日の午前に一気に進める。一日時間あるからって一日中できるわけでもなく、参加してる文筆家ディスコードの中間締め切りがなきゃ、絶対締め切りに間に合わなかった。
・今年本命、三田文学新人賞応募完了(10月31日締め切り)
次こそは中央の賞!と言いながら、なかなか応募できずにいるのだが、三田文学新人賞は今まででは一番中央寄りの賞だ。
途中過去作の大幅書き直しがあったから正確なところ分からんが、一番最初のアイデアが出た瞬間から起算すると、一年近くかけて書いた作品。
当初は最低でも100枚ぐらいを目指してたのに、結局63枚。
長め作品みたいな出だしの書き方で、短篇書いちゃった。
途中を思いつかなかった力不足です。
初期アイデアは、男が想像妊娠する話だったのに、跡形もないストーリーになってしまった。
・子母澤寛文学賞の結果まち(発表予定10月)
発表予定が10月なのに、まだ発表になっていない。
受賞者には連絡いってるんだろうね。
北海道の文学賞で、過去の受賞者はみんな北海道出身者。
賞の知名度の問題なのか??。
いずれ連絡がないので、受賞はしてないだろう。
・文芸思潮新人賞結果まち(最終選考結果11月上旬)
三次選考通過(最終候補)っていう、めちゃくちゃ棚ぼたな結果。応募人数が少なく、入賞者が多い賞なので引っかかるかなーと思って応募した。
しかしながら、第一回受賞者は、すばる文学賞佳作でデビューした石田夏穂さん。第二回は最優秀賞作品なし。最終選考委員はみんな作家。
という、最優秀賞作品はガチなのしか選ばんぞ、みたいな空気を感じる。
もうすぐ結果が出るぞ!楽しみ!
・長塚節文学賞結果まち(発表12月?)
まじで受賞してほしい。主観的には、今まで長塚に応募したので一番良いと思ってる。
でも、ちょっと設定に歪みがある気がする。優秀賞もらったときは小さくまとまってて歪みは少なった。
今回はやや大きいめ(前回比)で、ちょっと歪みあるって感じ。
どう評価されるだろうか。
・種苗交換会で再認識した自分の性質
種苗交換会でのお仕事で食堂を手伝った。そば・うどんの汁を入れる係。
注意力の配分や持続力に難があるのだけど、今回それを観測できて面白かった。
運転中考え事しちゃって、ぼーっとして道中記憶はないけど家にはちゃんと着くみたいなことあるじゃん。その、ぼーっとがものすごく細かい単位で訪れるんだよね。
そばの入ったお椀もらう → 他の事考える → 汁をオタマ一杯入れる → 他の事考える → オタマ二杯目の汁を入れる
って感じ。
他の事考える、のときは目の前のそばが見えてないの。
めっちゃ面白かった。
うわ、また目の前見てねーwって。
汁こぼしたり、ちょっとしたミスするときは、絶対目の前見てないときなんだよね。
当たり前か。
よーし、目の前のことだけ考えるぞーって気張ってようやく、フルで注意できる。
それでも、毎度できるわけじゃなく、また他の事考えてるの。
勝手にマルチタスクになるから、多分疲れてそう。
でも、この性質のおかげで得ているものもあるので、まあいいかって思ってる。
ただ、ずっと目の前のことに集中しなきゃいけないことは、やっぱりやっちゃダメな人間だな。
例えば、重機を操縦するとか。
汁こぼしたどころの騒ぎじゃないからね。
ずっと前から分かってたし、よく話してることだけど、久しぶりに観測できて面白かった。
最近の執筆まわりの話/牧野楠葉さんのディスコードに参加
2022年前期は、資格勉強がない。
副業も全くやってない。
つまり、時間がある。
牧野楠葉さんが主宰する文学ガチ勢のディスコードに参加している。
などの好条件が重なり、執筆時間が増えている。
あと、ハリウッド脚本術の王道「SAVE THE CATの法則」をこのタイミング読んだのも良かった。
貧乏性なもんで、中古が値下がりしたときに買おうとして早数年、全く値下がりしない。いい加減買うか、と新品で買った。
一番刺激を受けているのは、牧野楠葉さんのディスコードだね。
楠葉さんをはじめ、数人から感想やアドバイスを貰えるのはもちろんタメになるが、意外にも成長につながってる気がするのが、自分以外のアマチュア作品を読む経験だった。
普段読んでるプロの作品は、レベルが違いすぎて、自分と地続きじゃないというか。
もちろん参考にするけど、自分と比較したときに距離がありすぎて、自分の位置が分からない、というか。
でも、自分と同じようなレベルの上・下を読んで、これはできる、これはできない、って自分と比較ができるんだよね。
それによって、自分のやれること、やらなきゃいけないこと、が明確になった。
あと、他の人の作品に対する他の人の感想、めっちゃ勉強になる。
執筆人生では2016~2017年が、一番成長を感じた期間だったけど、それに準ずるか越えるくらい成長する(した)気がする。
それともう一つ、良い思いつきがあった。
秋田で活躍する物書きになろう。
と、思った。
きっかけとなる下地は様々あったんだけどね。
インターネットによって、「村の一番」に価値がなくなって久しいけど、それでも「村の一番」は一番なんだよ。
特に秋田みたいな田舎では。
「これ、都会なら一瞬で”解決”を金で買えるよな」って課題・問題をたくさん見る。
つまり、村で”解決”を提供できる人がいない。
都会では、”解決”で金儲けしてる人がわんさかいるから、「困ったなー」と思う暇もないかもしれない。困ってなくても、解決してくれるかもしれない。
僕がよく観測するのは、適切なIT知識があれば解決できるのに、「やれる人が近くにいない」ってだけで、前に進めないって状況。
僕が間に入って、適切な場所か人とつなげるだけで、解決するなーって思う。
でも、それはボランティアではやりたくないし(めんどいから)、金をとるにしても、副業の範疇を越える場合が多い。
そういった田舎の現状を見ていて、インターネット世界では陳腐化したものでも、田舎なら十分通用することが多い。と思ったんだよ。
言い換えると、僕のまわりなら僕レベルでも価値を感じてもらえるのでは?って感じ?
全国では通用しないから地元で勝負するって発想はありふれているけど、それの具体的な道筋を今考えてて、楽しくなってる。
周りを見ても、小説書いてる人なんていないし、これは「村で一番」なのでは、と。
いくら「作家です」自称しても、実績がなければ相手にされないだろうから、地元でウンチャラと言ったばかりだが、もっと大きな賞、中央の賞に挑戦したい。
僕が楽しくなっているのは、作家人生の、より現実的なルートを見つけたから。
1難易度高い:新人賞受賞してその後何冊も本を出す
2難易度ちょい高:新人賞受賞のみ。その後は考えない(売れなくてもよい)
3難易度そこそこ:それっぽい賞を受賞して、地元で作家として認知される
3ならいけるんじゃねってモチベで今後いく予定。
書き続けてるかぎり、1を目指していることにはなるわけだし。
2と3の間にはもっといろいろありそうだよね。
色々調べて考えてるけど、物書きとしての仕事は創出できても、小説書く場面なさすぎる笑
とりあえず「作家として認知される」に注力したい。
つっても、実際にやることは前と変わらんな。
変わるのは、何か受賞した後だ。
まあ、今後も考えていくよー。
こうして立ち回りを考えるのはすごく楽しいが、結局は作品が評価されなければ前に進めないのだよな。
第20回江古田文学賞 二次落ち(2年ぶり2度目)
江古田文学108号を買いました。
第20回江古田文学賞に、「クライ!マー!」という実験作品をぶち込んだところ、一次通過していた模様。
「クライ!マー!」については、「作家としての展望を記す」にちょっとだけ書いています。
「クライ!マー!」は2020年に書いた作品で、それをリライトしたものを応募していた。
僕自身、ボルダリングが好きで、いつかクライミング小説を書きたいなーと思っていたところ、町屋良平さんの「1R1分34秒」を読んで、これっぽく書いてみようかなって思ったのがきっかけ。
あらすじは、
大会でそれなりの成績を一度だけ修め、将来を有望視されていたもののそれっきり泣かず飛ばずの主人公。”クライマー”というアイデンティティにしがみつきながら、”生きる”を模索する。
改めて思い返すと、青春作品的なテイストもあるな。
アイデンティティにじかみつくことってあるよね。
好きや得意だと思っていたことが、実はそうでもなかったり、何かのきっかけや時間経過で興味を失ったり。でも自分にはそれしかない気がして。
どうでもいいことなら、やーめた、で済むけれど、それが無くなった自分は、何を自分とすればいいのか。
みたいな。
結果、手段と目的がすり替わって(これは人生における代表的なトラップ)、アイデンティティのために、その行為、趣味嗜好を続けてしまう。
実を言うと、自己投影が大いにある。
僕にとって、小説を書くこと、文章を書くことは、自分以外(他者)から、自己を切り取る大きな手段だ。
今まで、小説書かなくなるかもなって思った瞬間があったり、僕よりも文章書くのがうまくて、しかもたくさん書ける人もいるのに、僕が何か書いて意味があるのだろうかって思ったときもあった。
僕から、小説・文章をとったら何かが残るのだ、と考えたときはゾッとしたね。
今こうやって一歩ひいて考えると、小さなことを、さも深刻なことのように悩んでで、僕は僕だろwって感じだけど、それは時のディスタンスがそうさせるだけで、当時にそんなことは思えない。
その、ゾッとしたとき、アイデンティティにしがみつこうとしてる、って感覚があったんだよね。
ところで、「クライ!マー!」は結構、「1R1分34秒」をパクっている。
適切なパクリは創作の基本だが、これはパクリすぎた。
パクる↔参考にする
を、パクる寄りにするとどうなるかって実験した作品が、本作だったのだが、思いのほかパクってしまった。
パクリ要素をなるべくカットしたのが、今回応募した「クライ!マー!」である。
2021年は何にもなかったなーと思っていたけど、プロフィールにはそっと「第20回江古田文学賞 二次落ち」と追加しておこう…。
第21回江古田文学賞には、今書いてる作品を応募したい。
これは、一次通過を知る前から思っていた。
次の作品を考えてたら、我が地元の賞「ふるさと秋田文学賞」に応募できそうなアイデアを思いついて、それを発展させたところ、もっと良い感じになったのだけど、応募要項である「秋田県を舞台、あるいは秋田県内の自然・文化・風土・人物・物産などを題材とする。 」から離れてしまった。
このアイデアを受け入れてくれそうな文学賞、ということで思い至ったのが、江古田文学賞だった。
それについては、こちらの動画で11:53あたりから、軽くしゃべっている。
僕のパート「もの書きに向いている人」の話は、1:47あたりから。
秋田県民としては、いつか「ふるさと秋田文学賞」を受賞したいところだが(2回中2回一次落ち)、秋田県を絡めるのが難しくてね。
ちなみに、あまり知られていないが、僕が初めて応募した「第3回ふるさと秋田文学賞」受賞者は、デビュー前の岩井圭也さん。
まあ、僕と岩井さんは戦友ってことだな。
僕が2020年に小島信夫文学賞に応募したのも、岩井さんのデビューまでの軌跡を意識してのことだった。
「第8回ふるさと秋田文学賞」受賞者は、僕の中で、秋田といえば、という方。
渡部麻実さん
「第5回ふるさと秋田文学賞」受賞者でもあり、秋田の小説界隈では有名人。
さきがけ文庫から書籍出版もしている。
僕も、「秋田 小説」といえば、佐藤龍一と思われたい…
そんな佐藤龍一は、ネット上にほとんど作品を公開していない。
2020年に「ブンゲイファイトクラブ3 (BFC3)」というくそおもしろ企画があって、その兄弟企画「イグBFC2」に参加していた。
初代王者は佐川恭一さん。
「イグBFC2」に応募した作品が、現在の最新作。
静かで地味な(ちょっと分かりにくい?)作品だけど、やりたいことをやれた作品で、わりと気に入っている。
選考中に、「新たな天才が現れた」なんて、ツイートされたりして(照
原稿用紙6枚分。1~2分で読めるので!
作品に対する運営からの講評はこちら。
小指の指輪 イグBFC2応募作
昼はロースカツ丼。今や出来合いのものしか食べない。娘は盆休みが終わり、帰った。
『昨夜未明、横手市の国道で七十代の男性が車に跳ねられる事故が発生しました。男性は即死とみられ…』
「ボケ老人だな」
部下が言った。
やたらと油っぽいロースカツだった。
午後の現場は待機時間ばかりだった。気温三十五度。緑茶、タバコ、ラジオ。二度、立ち小便をした。
終わる頃には暗くなっていた。部下は髪をかきあげながら、ぶつぶつと文句を言った。
スーパーで半額の寿司と酒を買った。シャワーを浴び、寿司を食べ、酒を飲んで、寝た。
真夜中、指輪をしている左の薬指と小指が痒く、目が覚めた。指輪を外し手を洗ったが、まだ痒かった。台所に置いた大小二つの輪っかが鈍く光っている。プラチナは柔らかい。傷だらけだった。太ってはまらない時期もあったが、今は少しゆるい。
そのうち痒みは治ったが、まどろんでいるうちに朝がきた。
「辞めようと思ってるんす」
「どうして」
「俺、二十五っすよ。定年まで、この会社ありますか」
部下はまもなく姿を消した。
午後の現場に、一人で行った。
直射日光。陽炎。沼の水気が飛び、底のヘドロが露わになる。臭気が立ち込めている。野鯉が背中を半分出し、ヘドロをかき分けている。グッポグッポ。じきに干される。
翌日、百円ショップで買ったルアーで、釣りをした。竿とリールは、二十年前に亡くなった父親のものだ。
何でもない川だ。川の体を成しているが、用水路のようなもの。竿を振って、リールを巻いて、また竿を振る。魚影は見えるが、ルアーがでかすぎる。十時に始め、十二時には終えた。坊主だった。
腹が減っていない。昼寝をしたら十四時だった。ウイスキーを飲んだ。軽トラで山へ行った。荷台には角材の切れ端とロープが積んである。よく山菜を取りに行く山だ。真夏に採れるものはない。
スニーカーで獣道を進む。蚊がひどい。山が湛える湿気に、草木の青臭さが混じる。辛いだけで面白みのない山に、入る者は他にいない。
昨夜はカップ麺で済ませた。一昨日は寿司。その前は唐揚げ弁当。
今夜は。今夜食べたいものがない。
頂上からは辺りの山が一望できる。
気づくと歌を口ずさんでいた。ビートルズの Let It Be。
レディビー レディビー レディビー オー レディビー
ゼア ウィルビー アン アンサー レディビー
当時、ジョンに憧れ髪を伸ばし、ギターを担いでいた 。Let It Be はピアノの曲だが、ギターで弾いた。
ジョンは殺され、オノヨーコは今も生きている。
下山し、軽トラのなか、ラジオを聴いた。何か音楽が流れるのを待った。夜が落ちてくる。なかなか音楽が流れない。新月だ。何も光がない。ようやく流れた曲はヒットしたアニメの曲。ラジオが終わった。ドアノブに手をかけたとき、薬指と小指の指輪が当たり、カチンと鳴った。
助手席を見た。ダッシュボードはゴミだらけなのに、助手席はがらんと空いている。エンジンをかける。ライトをつけると木々が照らされる。眩しくて、目を閉じた。
近況 今年に入って始めた新しいこと
正直、近況話したすぎる。
新しいことをはじめたからだ。
でも話していいものか、と迷っていた。
これが成功したときにネットでわざわざ言うのはイヤらしいかなと思っていたからだ。
でも話しちゃうのは、スタート時点では成功とは呼べず、今後人よりも遅い歩みで改善はしていくものの、それはまだ先の話なので。
長期的な欲求が(2か月前の日記に引き続き、また欲求の話か)2つある。
・作家になりたい
・お金がほしい(んで仕事やめたい)
これは2~3年前からちゃんと区分けできている気持ちだったけど、僕の体力精神力が並以下であることが起因に、可処分時間が平均以下である現実を見ると、2つのことを2つのこととして叶えるのはしんどいということも分かっていた。
なので、「作家になりたい」を優先して、結果としてお金をもらえるようになればいいか、と思っていた。
お金がほしい、を第一に考えるなら効率のわるい方法であるが、統合したことで2つの欲求への道のりは一つになった。
ところが、これまた2つのことをきっかけに状況が変わった。
ひょんなことに、そこそこの量の保存がきく農産物をもらえる場面になった。
過去にも1~2度同じ場面になって、メルカリとかで売ってみようかなーと思ったことはあったがめんどいし時間が勿体ないからいいかって思っていた。
ところがそのときの僕は、「リスクをとらずに生きてきた人生なので、ちょっとはリスクとってみるかー」という気分になった。
こう思えるようになったのは投資のおかげかな。
ここでいうリスクも①捨てるのが面倒な在庫を抱える、②創作にあてる時間が減る可能性がある、ぐらいなもんで、端から見ればリスクと言えるほどでもない。十分保守的な行動である。
12月に貰って、売り始めたのは1月末頃だったし、正直始めるまではめんどかった。ほんのちょぴっと後悔もした。
そんでメルカリで売ってみたら、楽しかったんだ!
貰い物なので、売らなきゃってプレッシャーもないし、面倒どころか楽しいんで、やって良かったと思った。
これが一つめ。
もう一つは、友達が副業で物販を始めていたのを知った、ということ。
ということで、いっちょ副業はじめてみるか、となった。
ずっと副業はやりたかったけど、創作時間確保を理由にやってこなかった。
でも、楽しかったしやっていいかなーって思った。
以上がきっかけの話。
そんで2つの欲求の話に戻る。
・作家になりたい
・お金がほしい
副業を始めると、「お金がほしい」を第一にした行動ができるわけだ。
そうなったとき、思わぬことが起きた。
創作において感じていた息苦しさがなくなったんだ。
息苦しいなんて感じたことはなかったんだけど、息苦しかったみたい。
2つのことを1つに託すなんて、リスクあるよなーとは思っていた。
投資の世界でいう「卵を一つのカゴに盛るな」をやってるわけだからさ。
創作は、創作。お金はお金。
となったことで、しっかりと分散投資になったわけだ。
思えば、使う予定のないマーケティングや経営の知識を入れることに、後ろめたさや恥に似た感情があった。
それを実践できる場(小さいけど)に参加できて、長年の目標が叶った気分。
そんな目標はなかったんだけど。
4~5年前の青年部の飲み会で、珍しく心のうちをじゃべったときも「僕は販売に興味がある。〇〇さんの米を倍の価格で売れるようになりたい」なんて話をしていた記憶もあるし。
実はやりたかったことだったんだろうなー。
こうして思わぬ形で好転する場合があるんなら、やってみたいことはやってみたほうがいいなと月並みなことを思った。
で、現在の状況であるが
まずはAmazonでの出品を考えて、ビデオ通話での出品審査まで受け、5000円ほど経費をかけたところで、僕が扱う予定の商品は売っちゃいけないことが分かり(涙
他に出品してる人がいたから大丈夫だと思ったら、そやつらは規約違反だったようだ。
早く取り締まってくれ!
じゃあ、Yahooショッピングだ、と出品審査にからむ様々な手続きを経て、2月末頃にようやく出品できたところ。
試しに仕入れた(輸入)在庫30000円分が未だ売れず。
しかも、仕入れたとき関税がかかっちゃって(リサーチ不足である)相場通りに売っても利益なし。
先週ようやく一品売れたところ。
詳細は省くけど、在庫30000円分とは別の商品。
要はまだまだ赤字。
ガチるなら仕入先や仕入れ商品を展開するためにもっと調べるべきなんだろうけど、そこまで時間使うのは楽しさだけでやっちゃいかん気がする。
・作家になりたい
が遠ざかるから。
いつものごとく、やっぱやーめた、なんて言ってやめてるかもしれんが、今んとこ楽しいんで続けるつもり。
僕はなにがしたいのか
自分が何をしたいのか、という問いは今ままで数えきれないほどしてきた。
人は得てして自分のしたいことが分からず、また、自分がしたいことに目を背けていることが多いからだ。このような、人類の不幸なデザインによって、したくもないことをしている場合も多い。
「全ての願いが叶ってもやりたいと思えることは何か」という問いが有効らしい。
エビデンスのあるものなのか、それとも、これって良いらしいぜ、程度の手法なのかは忘れてしまった。
有り余る金、小説家としての地位名声
それでもやりたいことは何か。
過去に何度もこの問いをした。
たとえそれで、「本当は小説が書きたくない」という答えだとしても構わないと思っていた。
そして今回も安心することになる。
僕は小説を書きたい。
もっとド純文学なものを書きたい。
今は、地方文学賞を中期ゴールに執筆活動をしているため、どうしてもド純文学が書けない。というか、個の放出を調整せざるを得ない。これは地方文学賞とはかくあるべき、という僕の考えに過ぎないのだが。
もちろん今も小説を書いているが、「ほんとにやりたいことはこれじゃないんだよなー」と思いながら書いているときがある。
ここらに関しては、中期ゴール達成後に抜け出す予定だが、まあ検討も忘れずに遂行していこう、という感じ。
もう一つ、それでもやりたいこと。
やったことがないことしたい。
答えとしては抽象度が高すぎるが、わりと普通の欲求である。
新規性とは刺激であり、人は常に刺激を求めている。
そして、こちらの欲求は今すぐにでも叶えられる。
早速この記事を書いた30日、記事をアップした31日のあいだに、やったことのないやってみたいことに着手した。
純粋に楽しい。
楽しいのだが、僕は何か楽しいことがあると、寝ても覚めてもそのことしか考えなくなる。
小説などそっちのけだ。
これは困りもので、じゃあやらずに我慢すればいいのかというと、それはそれでずっと気になってしまい、小説などそっちのけだ。
結論、早々にやってしまい飽きるのを待つか、落ち着くのを待つか、しかないのである。
ところで、「このブログで実現したいこと」にも書いたように、僕には、僕を知ってもらいたいというありふれた欲求がある。
リアルでのコミュニケーションが苦手なので、そのフラストレーションが溜まりやすいのだ。
文章による時間差コミュニケーションは比較すると、好き。比較するとマシ。
小説以外の文章を書くとき「僕は」という主語が多いのも、「自分のことを知ってもらいたい」という気持ちの表れだと思っている。
doppiocoffeefactoryで執筆していたとき(確か3年前)、社会での生きづらさの原因は、自己像と他人が思う(と僕が思っている)自己像とのギャップにあるのでは、と思い至った。
これは良いことに気づいた、と早速そのギャップを埋める作業を始めた。
職場で殺していた個を少しずつ解放し(最近はサボり気味…)、最近では、インスタグラムで今まで隠していた自己を意識的にさらしている。インスタの活動はデメリットも感じる…。
どうやらこの「ギャップがしんどい」、というのは普遍的な現象らしく、ベストセラー「選択の科学」で研究が紹介されていた。
その不幸は普遍的すぎるので、山奥で孤独に暮らすのでもない限り、むしろ「ギャップを埋める」営みに注力すべきだ、と書かれている。
僕が自力でたどり着いた答えとそのプロセスが、とっくに研究済みだったことを知る経験は快感である。
心理学や哲学の本を読む際の醍醐味だ。
何度も通っている道がわからない
「方向音痴」という言葉があるけれど、僕のそれは何の欠如なのか分かりません。
知らない土地でも直感的に自分の位置、また方角が分かる人。
地図をしっかり読める人。
こういう人達のことは、方向音痴とは言わないですね。
そうでない人達のことを方向音痴と呼びます。
「僕、方向音痴なので」という台詞を日常で、特に仕事中に言わざるを得ない状況によくなります。
一回や二回通ったくらいでは道を覚えられないので、「僕の方向音痴は空間系の記憶力の欠如なのだろうか」と長らく思っていたけれど、「なんか違うかも」と最近明確に思いました。
ここでローカルな話を。
国道13号線を県南から秋田方面に北上すると、古川添交差点(こんな名前だったのか)、を先に通りますよね。ラウワンの交差点のことです。次に茨島交差点がくる。
僕はこの二つの交差点を何度も右折したことがあります。
でもこの間、この二つの交差点の区別がつかなくなったんですね。
目的地に行くにはどちらを曲がるべきか分からなくなったんです。
そのときは、僕に理解のある同乗者が助手席にいたので、「ほら、こうやって分からなくなるんだよ」なんて話していましたが、僕の性質を知らない人と一緒であれば「こいつやばくない?」と思われそうです。
「やばくない?」と思われたら恥ずかしいので、仕事などで誰かを乗せて運転するときは、知っている道でももう一度調べ、しっかりとシミュレーションしてから出発するようにしています。
社会人四年目あたりに、シミュレーションを怠ったせいで、何十回と通った道が分からなくなり、その地区に異動してきて一年目の上司に道を教えてもらったことがあります。
僕は同じ空間に人がいると、著しく処理能力が落ちるんですが(これはまた別の記事でお話したい)、誰かが同乗している場合、そのハンデも発動している可能性はあります。
しかし、道に関しては一人でも起きる現象なので、根っこは別にある気がするんですよね。
一度や二度、通った道を忘れるくらいなら、忘れっぽいのかなーで済みますが、何十回も通った道を忘れるのは記憶力の問題ではない気がするんですよ。
実は二十歳前後のとき、自分は発達障害なのでは、と疑っていた時期があります。
診断を受ける前に書籍等で調べてみると、どうやら違うと分かりましたが、おそらく標準の中の障碍寄りなのだろうと思っています。素人診断ですが。
僕が、「障碍」について興味があるのはこのためです。とても他人事だとは思えない。
社会保障が行き渡るためにはどこかで線引きが必要で、こっちが健常者そっちが障碍者と分ける必要はあると思います。
しかし、健常者と障碍者は同じ直線上にあって、その違いは、断絶ではなくグラデーションなのです。
「人の遺伝子の95%は正常にコピーされ、残り5%はコピーミス(遺伝子欠損)が起きている」という主旨の研究があるそうです。
僕はそれを、誰しもが先天的な障碍をもっている、と解釈しています。
(素人意見ですが、そのコピーミスが認知力や身体能力の向上に転がる場合もあると思います。)
その障碍は、消化器官だったり、神経系だったり、フィジカルな部分だったり。
僕の場合はその5%の一部が脳のどっかにきて、認知系に不具合が起きたのかな、と思っています。
障碍というのは、その時代、価値観によって変わるものです。
眼鏡が発明されるまで、近視は障碍でした。
今は障碍とは言いませんよね。
これらは僕がわざわざ書くまでもなく、いろいろな場で議論されていることです。
道を覚えれられないこと以外にも「これは障碍ではないがグレーゾーンだな」と思うことが何個かあります。
でも、「僕はこんなにも生きづらいんだ!理解して!!」というメッセージでこの記事を書いているわけではありません。
前述したとおり、誰しもが5%の障碍を抱え、それぞれの生きづらさとして表出していると思っているからです。
不便だなーと思いつつも、開き直っています。
知ってもらえる、それだけで楽になる。だから文章にしてみました。