第20回江古田文学賞 二次落ち(2年ぶり2度目)
江古田文学108号を買いました。
第20回江古田文学賞に、「クライ!マー!」という実験作品をぶち込んだところ、一次通過していた模様。
「クライ!マー!」については、「作家としての展望を記す」にちょっとだけ書いています。
「クライ!マー!」は2020年に書いた作品で、それをリライトしたものを応募していた。
僕自身、ボルダリングが好きで、いつかクライミング小説を書きたいなーと思っていたところ、町屋良平さんの「1R1分34秒」を読んで、これっぽく書いてみようかなって思ったのがきっかけ。
あらすじは、
大会でそれなりの成績を一度だけ修め、将来を有望視されていたもののそれっきり泣かず飛ばずの主人公。”クライマー”というアイデンティティにしがみつきながら、”生きる”を模索する。
改めて思い返すと、青春作品的なテイストもあるな。
アイデンティティにじかみつくことってあるよね。
好きや得意だと思っていたことが、実はそうでもなかったり、何かのきっかけや時間経過で興味を失ったり。でも自分にはそれしかない気がして。
どうでもいいことなら、やーめた、で済むけれど、それが無くなった自分は、何を自分とすればいいのか。
みたいな。
結果、手段と目的がすり替わって(これは人生における代表的なトラップ)、アイデンティティのために、その行為、趣味嗜好を続けてしまう。
実を言うと、自己投影が大いにある。
僕にとって、小説を書くこと、文章を書くことは、自分以外(他者)から、自己を切り取る大きな手段だ。
今まで、小説書かなくなるかもなって思った瞬間があったり、僕よりも文章書くのがうまくて、しかもたくさん書ける人もいるのに、僕が何か書いて意味があるのだろうかって思ったときもあった。
僕から、小説・文章をとったら何かが残るのだ、と考えたときはゾッとしたね。
今こうやって一歩ひいて考えると、小さなことを、さも深刻なことのように悩んでで、僕は僕だろwって感じだけど、それは時のディスタンスがそうさせるだけで、当時にそんなことは思えない。
その、ゾッとしたとき、アイデンティティにしがみつこうとしてる、って感覚があったんだよね。
ところで、「クライ!マー!」は結構、「1R1分34秒」をパクっている。
適切なパクリは創作の基本だが、これはパクリすぎた。
パクる↔参考にする
を、パクる寄りにするとどうなるかって実験した作品が、本作だったのだが、思いのほかパクってしまった。
パクリ要素をなるべくカットしたのが、今回応募した「クライ!マー!」である。
2021年は何にもなかったなーと思っていたけど、プロフィールにはそっと「第20回江古田文学賞 二次落ち」と追加しておこう…。
第21回江古田文学賞には、今書いてる作品を応募したい。
これは、一次通過を知る前から思っていた。
次の作品を考えてたら、我が地元の賞「ふるさと秋田文学賞」に応募できそうなアイデアを思いついて、それを発展させたところ、もっと良い感じになったのだけど、応募要項である「秋田県を舞台、あるいは秋田県内の自然・文化・風土・人物・物産などを題材とする。 」から離れてしまった。
このアイデアを受け入れてくれそうな文学賞、ということで思い至ったのが、江古田文学賞だった。
それについては、こちらの動画で11:53あたりから、軽くしゃべっている。
僕のパート「もの書きに向いている人」の話は、1:47あたりから。
秋田県民としては、いつか「ふるさと秋田文学賞」を受賞したいところだが(2回中2回一次落ち)、秋田県を絡めるのが難しくてね。
ちなみに、あまり知られていないが、僕が初めて応募した「第3回ふるさと秋田文学賞」受賞者は、デビュー前の岩井圭也さん。
まあ、僕と岩井さんは戦友ってことだな。
僕が2020年に小島信夫文学賞に応募したのも、岩井さんのデビューまでの軌跡を意識してのことだった。
「第8回ふるさと秋田文学賞」受賞者は、僕の中で、秋田といえば、という方。
渡部麻実さん
「第5回ふるさと秋田文学賞」受賞者でもあり、秋田の小説界隈では有名人。
さきがけ文庫から書籍出版もしている。
僕も、「秋田 小説」といえば、佐藤龍一と思われたい…
そんな佐藤龍一は、ネット上にほとんど作品を公開していない。
2020年に「ブンゲイファイトクラブ3 (BFC3)」というくそおもしろ企画があって、その兄弟企画「イグBFC2」に参加していた。
初代王者は佐川恭一さん。
「イグBFC2」に応募した作品が、現在の最新作。
静かで地味な(ちょっと分かりにくい?)作品だけど、やりたいことをやれた作品で、わりと気に入っている。
選考中に、「新たな天才が現れた」なんて、ツイートされたりして(照
原稿用紙6枚分。1~2分で読めるので!
作品に対する運営からの講評はこちら。