べつにカタカナ語使っていいよね
ムカつくカタカナ語への思いを綴りました。今後も新しいカタカナを聞き次第更新していこうと思います。 pic.twitter.com/vSCxyLF2kr
— HONDA (@sen82599650) August 7, 2020
世間の意見がどちらに傾いているのかは分かりませんが、やり玉にあげられがちなカタカナ語について、肯定派である僕が、ありふれた意見を述べます。
ニュアンスの違い
そもそも「アグリー」と「賛成」ではニュアンスが違いますよね。
ヒトであるぼくらは、好き嫌い、妬みなどなどいろいろな感情が渦巻いたなかで意見を述べます。しかし、ビジネスにおいて、そういった感情がノイズになる場面は多々あるでしょう。そういったノイズを取り除いて、ロジカルにくだした評価が「アグリー」
対して「賛成」には感情がのっている気がします。
あくまでぼくの感覚ですが。
もしも、知りえる言語が日本語のみであったら、「アグリー」にあたる新しい単語を発明するか、文章にして説明するか、ニュアンスの違いを無視するか、で対処するでしょう。
実際には、身近に英語という他言語がある。そこで、単語の枠組みを輸入し(新しい文字列をつくるのは面倒だし、浸透するにも時間がかかる)、日本語英語的な新しい意味を付与しているんでしょうね。
ムカつく派のひとたちは、こういった機微に興味がないんだろうなと思います。
しかし、それは知性の欠落だとは思いません。
ぼくが、ゼータガンダムや○○ガンダムなどをすべて、「ガンダム」と認識しているのと同じにすぎません。
興味がない。その言葉に、他意はないのです。
コミュニティ形成の手段
コミュニティ形成の手段として有効なのは、何かを共有することです。
目的、考え、言語。
人類が大きなコミュニティを維持できるのは、虚構(物語)を共有できたからであると、世界的ベストセラー「サピエンス全史」をはじめ、様々な書籍で語られています。
カタカナ語がどんなコミュニティの形成に一役買っているのか分かりません。おそらくビジネス界隈でしょう。
初期段階では、カタカナ語を共通言語とすることで、コミュニティの形成、維持、参加者のスクリーニング(これもカタカナ語扱い?笑)を行っていたのでしょう。
かっこつけマン
とかとか、いろいろ私見を述べましたが、ムカついてしまう最たる原因は、機微も理解せず使うかっこつけマンや、コミュニティに入りたいがために形だけ真似する輩が目立つからでしょう。
これは、コミュニティや文化の末路。こういう層が現れるのは自然の摂理です。
バカにしやすい
こういったツイートがバズる理由は、「カタカナ語ばかりを使うムカつく奴ら」というイデアが、多くの人々に共有されているからでしょう。
ムカつく側のひとは、悪意や意見もあるわけではなく、エンタメの一つとして楽しんでるんだろうなと思います。
「昨日のドラマ見た?」という、共通の話題で盛り上がるのと一緒です。
僕自身、肯定派といいながら、普段の生活で使うこともありません。使おうとするとこっ恥ずかしいし!
肯定派、というか、べつに使ってもよくね?っていう感じです。